PLASの現地活動ウガンダプロジェクト-BRIGHT現地レポート

ウガンダレポート|「死ぬ運命」なんて言わせたくない。職業訓練でHIV陽性の若者に未来の希望を。

参加者1人1人の人生に向き合って

今回のレポートは、PLASが実施している職業訓練に参加するHIV陽性の若者たちに、プロジェクト開始前に、これまでの人生をインタビューしたものです。

 

何に悩み、どんなことで苦しみ、その中で誰が支えてくれてきたのか。

 

1人1人の人生と向き合うことも、このプロジェクトを実施する上で大切なことだと考えています。

 

実際にご紹介する前に、彼らが直面する現実のお話しを少しさせてください。

定職に就けない苦しい現実

(写真)10人に1人がHIVとともに生きるウガンダのルウェロ県

 

ウガンダでは若者の失業が社会問題になっています。

中でも、HIV陽性の若者たちは特に不利な状況に置かれ、差別や偏見から、不採用・解雇されるということが起こっています。

現地NGO「マルチパーパス」のボランティア活動に参加するヌティアさんは、そんな彼らの現実をこう語ります

 

治療費が払えず「自分は死ぬ運命なのだ」と引きこもってしまう

安定した職に就けず「ここで暮らしても未来はない」と悲観してしまう 

 

未来を描けず苦しむ・諦める若者たちの姿がそこにあるのです。

自立支援で生きる力を

(写真)真剣に研修を受ける参加者たち

 

PLASが活動地域の元エイズ孤児の若者たちにインタビュー調査を実施したところ、HIV陽性の若者たちの中で、職を得るための技術訓練を受けたことがあったのは4人に1人。

 

この数字からも、、HIV陽性ないし元エイズ孤児の若者たちが、十分な生計を立てるための術を持てず日々の生活に困難を抱えていることがわかります。

 

そこで、私たちPLASは若者たちに職業訓練の研修を行っています。

 

農業、ネイル、ヘアードレッシング、軽食つくり、ノート作りなど、現地で人気があり、需要も高い職種の中から複数を選択して受講することで、若者たちが自分の関心のある分野、そして地元でのニーズに柔軟に対応出来るようになっています。

 

ヘアードレッシングの職業訓練の様子はこちらから

ウガンダレポート|HIV陽性の若者たちへの職業訓練現場に行ってみよう!ーヘアードレッシング編ー

「多くの友人が私の元を去りました。」

(写真)若者たちの会合の様子

 

ーあなたのことを簡単に教えて下さい

結婚はしていませんが、子どもが2人います。

以前はバーテンダーやホテル経営を行っていました。しかし子育てをしなければならなくなったため、その仕事を辞めました。現在は日雇い労働をしながら、ピア教育で若いHIV陽性者に対して授業を行っています。

 

ー学校には通っていましたか?

はい、通っていました。成績は良かった方だったのですが、14歳の頃に、学費を払えなくなり、学校を中退してしまいました。

 

ー家族について教えてください

父親は私が9歳の頃にエイズで亡くなりました。父は私をとても可愛がってくれていたので大好きでした。

父が亡くなってから、母が私たち5人兄弟を大切に育ててくれました。母のことも大好きです。母親もHIV陽性者で、治療を受けています。

 

ーHIVのことで差別を受けたことはありますか?

あります。私の住む地域では、HIV陽性者に対してスティグマや差別がたくさんあります。私自身も多くの差別を受けました。身体的なハラスメントは全くないものの、言葉によるハラスメントは頻繁に受けます。

私がHIV陽性者だと判明したことをきっかけに多くの友だちを失ってしまいました。

 

ー今後、挑戦したいことはありますか?

小学生の頃は医者になることが夢でした。今は、ブティックで働きたいと思っていて、1か月あたり2,900円(100,000UGX)の収入を得たいと考えています。

「自分に自信が持てないんです。」

(写真)幼い子を育児中の若者もいる

 

ーあなたのことを簡単に教えて下さい

未熟児として生まれて、病気がちだったため、祖母の家に預けられそこで育ちました。弟と妹がいましたが、2人ともエイズが原因で生後まもなく亡くなってしまいました。

 

ー学校には通っていましたか?

身体が弱く、病気がちだったので、一度も学校に行ったことがありません。肌の病気にもなってしまい、自己嫌悪により学校に通うことができませんでした。今でもこのことが原因で、親戚の人から差別を受けています。

 

ー家族について教えてください

母親は私が7歳の時、父親は10歳の時になくなりました。2人ともエイズでした。

私は母親が大好きでしたが、当時はお金もなく十分な育児はしてもらっていません。

 

ーHIVのことで差別を受けたことはありますか?

あります。地域コミュニティだけでなく、先ほどもお話ししたように、皮膚の病気のこともあり親族からの差別もあります。自分の容姿も、能力も、全てのことにおいて全く自信がありません。

 

ー今後、挑戦したいことはありますか?

食品販売の仕事に興味を持っていますが、勇気が出せずに始めることができていません。というのも、自分の肌が病気によってどんどん悪化していてるので、誰もお客さんが来ないと思ってしまうんです・・・。

「両親が生きていた頃が一番幸せでした。」

(写真)若者たち

 

ーあなたのことを簡単に教えて下さい

両親を亡くしてから、祖母の元で育ちました。祖母は私をちゃんと育ててくれて、良い関係を築けていると思います。祖母のことは大好きです。私自身は、病気がちなので、家事もまともに出来ない日もあります。

 

ー学校には通っていましたか?

私は現在も学校に通っていますが、何度か留年してしまいました。学校の成績が悪く、病気にもなってしまったからです。

両親の代わりに、おじさんが今まで学費を払ってくれていましたが、おじさんが職を失ってしまい、これから自分が学校に通えるかが心配です

 

ー家族について教えてください

母親は11歳の時に、父親は13歳の時に亡くなりました。父はHIV陽性者でした。

父親は私のことが大好きで、ほしいものはなんでも買ってくれました。本当に父親が好きでした。

両親が生きていた頃は本当に幸せだったんです。だから今はとても辛いです・・・。

 

ーHIVのことで差別を受けたことはありますか?

HIVに対する差別は私の周りでは根強くあります。私も、酷いことを言われたことがあります。

 

ー今後、挑戦したいことはありますか?

将来は、スーパーマーケットの店員になりたいと思っています。小学校の頃は、小学校の先生になりたかったです。

人生を自分の足で前向きに歩んで欲しい

職業訓練を受ける事で、こうしたHIV陽性の若者たちが、将来を悲観せずに人生を自分の足で前向きに歩んでいけるように活動していきます。

 

若者たちはそれぞれに人生でいろんな経験をしていて、苦しかったこと、大変だったこともあった多かったかもしれません。

ですが、現在の研修や活動の中で若者たちの笑顔をたくさん見ることができています。この笑顔を増やしていけるよう、共に希望を育てていけるように若者たちを後押ししていきます。

 

 

こうした支援を続けることができるのは、日本から支えてくださる支援者のみなさんのおかげです。本当にありがとうございます!これからもみなさんのご寄付、応援をアフリカにしっかりと届けてまいります。