PLASが2020年4月から実施した新型コロナウイルス緊急支援は、パートナー団体スタッフの「このままでは(私たちのような)貧しい人から死んでしまう」という切実な声を受けて、スタートしました。
前回に引き続き、PLASのパートナー団体のひとつ、HIV陽性者の支援団体ヒ―レコーズのスタッフの声を通して、新型コロナウイルスの影響をうけて、その時何が起こっていたのか、その後どのように立ち直っていったのかをお届けしていきます。
ヒ―レコーズスタッフ オパロック
オパロックはヒ―レコーズでモニタリング・評価オフィサーを務めていて、代表ムシシの右腕役です。妻と子ども4人と仲良く暮らしています。
コロナ禍でのコミュニティの様子や、その中でも地域のために動いたヒ―レコーズスタッフとしての思いを聞きました。
(写真)中央 オパロック
【コミュニティへのCOVID-19の影響】
①感染拡大当初 2020年3月~5月頃:ロックダウン時
「2020年3月末からロックダウンが始まり、完全に移動できなくなりました。ロックダウンの影響は主に3つありました。
1.経済面
人々の仕事がなくなりました。特にCAFEはお店を開けなくなりました。
2.健康面
輸送・移動手段が無くなったため、医療サービスへのアクセスができなくなったり、医療システムが機能不全に陥りました。この時期、適切な医療や薬が手に入らないことで、マラリアやHIVで亡くなった人はCOVID-19よりも多かったです。特にHIV陽性者はエイズ治療薬へのアクセスが困難になりました。
3.食料面
仕事がないので食糧を買うことができなくなりました。
ロックダウン中、HIV陽性者は薬を入手できなくなったり、空腹のため適切に摂取できなかったりしたことから、残念ながらヒ―レコーズのHIV陽性者グループのなかで5人が命を落としました。PLASの支援のおかげで食べ物を食べられたり薬を入手できたりしました。
学校も休校になり、その時期に妊娠した子どもは学校を去っていくことになりました。家庭内暴力を受ける女性も増えました。
また、食べ物がないことのストレスから殺し合いが起きたり、自死する方がでてしまったり、ショッキングな出来事もありました。COVID-19で貧困レベルは深刻になりました。」
②感染拡大期(2020年6月~12月)
「ロックダウン後タウンにいた人々は村に戻っていきました。医療や薬へのアクセスも回復してきました。仕事もロックダウン前の状態を目指して再開を始めました。一方で、多くの女子生徒や少女が妊娠してしまいました。中には13-14歳の子どももいました。妊娠してしまった多くの女性は、もう他になにもすることができなくなりました。」
③現在(2021年1月~現在)
「状況は変わり、学校と仕事は再開して、医療サービスも問題ありません。人々は新しい日常や生活習慣に適応し始めています。その一方で、まだ残っている問題としては、ビジネスの規模縮小による失業の問題や、学費が払えず学校をやめてしまう子どもが多いことです。交通機関も、40人定員のバスが半分以下の乗車人数になるなどして、運賃は以前より高くなっています。」
Q:感染拡大が始まってから、事務所にどんな声が届きましたか?
「コミュニティの人々は、食べ物も薬もなくなり、薬がなくなっても移動することができませんでした。その結果5人のメンバーが亡くなりました。私たちはこの事実自体がコミュニティからのメッセージだと受け取りました。HIV陽性者からの訴えは、主に食べ物と薬でした。地方行政COVID-19チームが、彼らに薬を支援していましたが、ヒーレコーズでも薬の配布を行いました。」
Q:コロナ禍ではどんな気持ちで仕事をしていましたか?
「コロナ禍の仕事は多忙でありリスキーでもありました。基本的にはリモートワークになり、代表のムシシが各スタッフに在宅でできる仕事を割り振っていました。メールやWhat’sAppでコミュニケーションを取り、2週間ごとにZoomミーティングもありました。でもスタッフのなかにはパソコンやスマートフォンなどのデバイスを持っていなかったり、インターネットにアクセスできない人もいたので、リモートワークは少々チャレンジングでした。そういうときは、パソコンを持っている人が他の人の分をカバーしたり、お互いにヘルプしあっていました。
2021年1月以降は事務所の出勤を各事業で週2回のシフト制にし、オフィスに人が集まらないように工夫しています。PLASが石けんや消毒液など、感染策用品を提供してくれて助かりました。
(写真)配布品とヒ―レコーズ代表、ムシシ。
【緊急食糧支援の効果】
Q:PLASの緊急支援を実施して感じたことは何ですか?
「まず、とても興奮してワクワクしました。また、希望を感じました。そして、食糧や治療に関わる状況が改善していくと感じました。支援を必要としている人々はたくさんいました。もちろん全員を支援することはできませんでしたが、支援がなかったらもっと多くの方々が亡くなっていたと思います。」
Q:配布をもらった人たちはどんな様子でしたか?どんな言葉をもらいましたか?
「支援を受け取った人たちは活気に満ちていて、生きることへの不安が消えて、希望と自信を感じているように見えました。
HIV陽性の人は、自分自身にスティグマを感じている事が多いですが、食糧支援によって自尊心を取り戻し、生きる活力が溢れていました。そうしたコロナ禍でも元気なHIV陽性者を見て、周りの人も「あの人たち、健康なはずの私たちよりもこんなに元気なの!」と感じて、彼らに対するスティグマも変わっていったように見えました。」
Q:緊急支援と緊急支援の間の受益者の生活はどんな様子でしたか?
「支援でもらった食糧がなくなったあとも、農業に助けられました。PLASのプロジェクトで農業のスキルを身に着けていたので、コロナ禍でも食糧を得ることができました。
また、PLASのプロジェクトで得たビジネススキルも役に立って、少額ではあっても自分で収入を生み出すことができていました。」
Q:緊急支援が現在の受益者の生活にどんな影響を与えたと思いますか?
「生活するうえで必要不可欠な健康面において、よい土台を保ちつづけることができたと思います。HIV陽性のお母さんは、大家族の面倒をみるだけでなく、自分自身をケアしていかないといけません。薬を適切に摂取すること、そのためにもしっかり食べることがとても大切です。また、子どもにとっては栄養のある食事そのものが、彼らの薬の代わりにもなっていたと思います」
Q:日本の支援者のみなさんにメッセージ
「政府は、命を救うことや生活を向上させるための支援をしてくれませんでした。日本の支援者の皆さまに心から感謝しています。」
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