PLASの現地活動ワークキャンプ

PLASウガンダ国際ワークキャンプ参加者の感想

2007年春のウガンダワークキャンプに参加した、増田育子さんから、参加した感想をいただきました。
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「命」〜ワークキャンプを終えて〜
「ただ、夜が怖いの」。
寡黙な太陽が存在感を示す昼下がり、彼女はそう話した。
頬の筋肉が動くことは滅多にない。
しかし、不調和な程、眼だけに「命」への粘り強さが込められていた。
「助けて」という望みを託しているようにも思えた。
彼女は“未亡人コミュニティ”の住人。エイズで夫を亡くした婦人らが、幼い子と共に肩を寄せ合い一緒に暮らす。
エイズ孤児らも通うBlessed Nursery & Primary Schoolの生徒の家庭訪問の際、偶然立ち寄った場所だ。

エイズ知識はほとんどない。ARVワクチンの存在も知らない。
人間の皮をまとい、与えられた「生」を当たり前に生きるだけ。
太陽が沈めば、夜の闇に死が近づくような怖さを感じる。
彼女らは、夜を異様に怖がった。


私は彼女の話を聞きながら、鳩尾が熱くなり、心が縮まるように苦しくなった。
しかし、不思議と逃げたい気持ちはなく、むしろもっと近づきたい衝動を抑え切れなかった。
もっと寄り添いたい。もっと聞きたい。もっとアフリカの現実を直視したい、人ゴミ離れひっそりと生きる人の現実を。
皮肉にもそこは、姿見えぬ“命”を最も感じる場所だった。
「子どもの笑顔の裏側を感じて」。
キャンプに参加したメンバーがミーティングで話した。
裏側とは何か。どこにあるのか。
ワークキャンプ後半はそんなことを虚ろに考えていた。
キャンプ参加者キャンパーらが企画したスポーツフェスティバル。
喉奥から笑い声が広がり、笑顔燦々であった。
しかしみんなが楽しく過ごす中、グランドから軒下にとぼとぼと戻ってくる子らもいた。
スコールの雨も降り出し、子らの体温をどんどんむしりとる。
偶然、私の腕が一人の少年の肋骨に触れた。
驚くほどとがった頬骨が、ドクドクと早い鼓動に合わせて重々しく動く。
繰り返される動作が直に腕に伝わると、笑い声とは対照的なその厳粛な静けさに、懸命な彼らの“命”を感じざるを得なかった。
これが「笑顔の裏側」の境地か、逆に笑顔が裏側だったのかはわからない。
こんなところで“命”をむき出している。
彼らは見た目以上に必死に生きていた。
必死に息をしていた。
アフリカにはたくさんのヒントが落ちていた。
私たちキャンプ参加者は、そのとてつもなく重く大きなものに気づけていたか。
ウガンダの大地に包まれながら過ごした時間は、見やすいところだけでなく、見にくい部分を見るに十分な時間だったと思う。
あの大地で無意識に感じたこと、勝手に心に転がりこんだことにこそ、ウガンダからの無言のメッセージではないか。
そういう意味で、無防備とさえ思える正直で純粋なキャンプ参加者は、この2週間で実に多くの財産を手に入れたのではないか。
生まれたくて日本に生まれたわけではない、生まれたくてウガンダに生まれたわけではない。
仕組まれたわけでもない偶然。
しかしその偶然が、ここまで「違い」ではなく「差」を生んでよいのか。
丸すぎる同じ地球上に、この現実があること。
実際に五感で触れた2週間は、貴重だと思う。
これから、この原石をどう磨くかが、
ダイヤモンドか歪な石かに変えるかの、キーポイントとなるだろう。