PLASの新たなパートナー団体として協働をスタートした、ウガンダのNGO「GIBEH(Girl Child Health And Education)」(以下ギバー)。
2019年の設立から、脆弱な立場に置かれた女の子や子どもたちの支援をつづけています。
今回は、ギバーの代表スーザン・ナバテさんにインタビューしました。
団体を立ち上げたきっかけや、これまでの人生とこれからの夢を聞いてみました。
幼くして父を亡くした日からはじまった苦難
Q)ギバーの代表として活躍されていますね。
スーザンさんがこれまでどのような道を歩んできたか教えていただけますか。
私は、ウガンダの首都カンパラの郊外で生まれました。子どもが多い家庭で育ち、13人きょうだいの末っ子として育ちました。
P6(初等教育6年生)のときに、父を亡くしました。そのときから、私の人生は多くの困難に直面してきました。母は、仕事に就いていない専業主婦でしたが、シングルマザーとして子どもたちを養っていかねばなりませんでした。また、私の姉たちの多くは若くして妊娠し、10代で母になりました。私は、この環境をどう生き抜くか模索しなければなりませんでした。
そんなとき、母がスポンサー(*海外の個人などによる孤児などへの奨学金制度)を探してくれたのです。幸いなことに、受給リストに入れてもらい、スポンサーに恵まれました。そのおかげで、中等教育(日本の中学から高校に相当)に進むことができ、その後は一家のなかで初めて大学まで進んだ子どもとなりました。
Q)中等教育ではどんな学校生活を送っていましたか?
成績はとてもよかったです。でも、周りは裕福な家庭の子どもが多いなかで、私は十分な学用品を揃えることさえ難しい状況でした。
それでも、「家族の状況を良い方向に変えられる、より優れた人になりたい」と考えながら、勉学に励みました。
基礎的な教育を受けることは、多くの子どもたちにとって困難なことなのです。それを実感し、将来はそうした子どもたちに学ぶ機会を届けたい、と考えるようになりました。
13人きょうだいの末っ子が、一家で初めての大学生に
Q)大学までの道のりで大変だったことはありますか?
シニア6年(日本の高校3年生)のとき、これまで学費を支援してくれたスポンサーシップが切れてしまいました。うちには、大学に行くためのお金はありません。
あきらめかけていたとき、入学手続きの〆切直前に、母が奔走して銀行でローンを組んでくれたのです。母は、自分の子どもを大学まで行かせたいという夢がありました。あのときのお金がなければ、大学には行けませんでした。
それに、高校3年生までに自分が妊娠しなかったのも後押ししてくれました。私の姉たちはみな、10代で妊娠してしまったので。4年間の大学生活では、法律を学びました。
社会の不正義を変えるため、弁護士を志す
Q)現在も弁護士として活躍されていますね。
法律を学びたいと思ったきっかけは何でしたか?
小さな頃から、たくさんの不正義を目の当たりにし、社会の不条理を変えたいと強く願っていたからです。父が亡くなったとき、親戚が押しかけてきて「この家から出ていけ」と言われました。弱い立場に置かれた母を、どう守れるか子どもながらに考えました。
また、私の周りには父親から性的虐待を受けた女の子もいました。彼女は、精神的に大きなダメージを受けてしまいました。父親は刑務所に入れられましたが、たった一週間で戻ってきてしまったのです。周りの大人たちは、何もしてくれなかった。
あるときは、私が学費のためにメイドとして働きに行った親戚の家がありました。学校が休みの間ずっと働いていたのですが、結局、給与も学費も支払われることはありませんでした。
私は成長するとともに、そうした不正義に立ち向かえるのが法律家だと知りました。母のように寡婦となった女性や、性的虐待を受けた子どもたちがウガンダにはたくさんいます。彼女たちが苦しむ不正義のために、戦いたいと思ったのです。
女性にとって生きづらい社会だからこそ、2017年に弁護士になってからも、子どもと女性の権利のために活動をつづけています。
子どもたちに本と鉛筆を。 たったひとりで始めた活動が政府公認NGOになるまで
Q)ご自身の経験がギバーを立ち上げた原動力になったのですね。
ギバーの活動を始めたのはいつ頃でしたか?
2016年頃からです。大学生の頃から、本やペンをたくさん買って、学費をまかなえない子どもたちに配る活動をひとりではじめました。ギバーの前身です。
2017年には、弁護士になれたことで、少しずつ金銭的な余裕が出てきました。そこで、年間の学費50,000シル(日本円で約1900円)を払えない家庭の子どもたちのために、自分の貯蓄から学費を出していました。
貯金をしては、恵まれない子どもたちのために使っていたのです。そのころから、「社会を救う」というアイディアが生まれました。
Q)ギバーの活動は、スーザンさん自身の原体験から始まったのですね。
そうです。ギバーは、私の心の奥深くから生まれ、私の想いそのものです。
Q)いま、ギバーにはたくさんのスタッフが参画していますね。
一緒に活動するメンバーはどのように見つけたのですか?
ひとりで2年ほど活動しましたが、法人として立ち上げたいと考え、2019年に法人設立をしました。登記するには3名以上が必要で、友人や姉にメンバーになってもらいました。
けれども、当時の私の弁護士としての給与は十分でなく、メンバーの人件費を払えませんでした。
2020年以降は、ハリエットという女性が参画し、その後も複数のボランティアスタッフが仲間になってくれました。それから、心理学の博士号を持つスタッフのレイチェルが参画し、友人を中心に組織化していきました。
いま、ギバーには有給スタッフ8名、ボランティアスタッフ4名がいます。
持続可能なNGOとは? 弁護士としての収入を、ギバーの活動に充てる日々
Q)ギバーを立ち上げてから一番苦労したことは何でしたか?
コロナ禍が一番大変でした。設立したばかりだったので。それに、活動の資金を集めるのにも苦労しました。今も、自分の給与から活動費を出していますが、事務所の賃料や、スタッフたちの給与、支援先の子どもの教育費など、負担は少なくはないです。
PLASとパートナーシップを組む前は、ロータリークラブから資金をいただくこともありました。それでも、「どうやって持続可能な財務をつくるか」が一番大変でした。毎月のように支払いに追われてました。
社会を変えたいパッションはあっても、どうやって財源やスタッフを持続可能にするか、難しい問題でした。保健相など行政に相談に行っても、門前払いされてしまうことも。事業に必要だった生理用品さえ買えない時期もあったのです。
PLASとパートナーになる2023年までは、活動費のほとんどを私の給与から支払うことがつづきました。
今でも状況が大きく変わったわけではないので、「もし自分が仕事を失ってしまったら、ギバーはなくなってしまうのでは」と不安になることもあります。
ウガンダ国内で資金調達しようと、たくさんの助成金に応募しましたが、ウガンダではギバーのような若い草の根のNGOは採択されづらいですね。本当は国際会議に出てドナーを得たいのですが、会議の参加費が高額で今のギバーには難しいです。
だからこそ、日本からPLASがパートナーシップを提案してくれたときは、とても嬉しかった。私たちのような若い団体をパートナーに選んでもらえて感激しました。
Q)スーザンさんは子育てしながら弁護士として働き、ギバーを運営してると聞きました。お子さんは何歳ですか?
2人の女の子がいて、3歳と6歳です。(*お話しながら、嬉しそうに娘さんたちのお話をしてくれました。)
PLASとのパートナーシップの先に描く未来
Q)ギバーにとってPLASは初めてのパートナー団体ですね。
協働して印象に残ったことはありますか?
私が想像していた以上のものでした。どこまでも伴走してくれる、そんな団体です。
事業のマニュアル化や、月次レポートの書き方まで、丁寧に一緒にやってくれます。PLASとパートナーシップを組むことができ、とても幸せです。
PLASの事業のなかでも、カウンセリングの重要性を感じています。たとえ虐待を受けてきた子どもだったとしても、カウンセリングを一緒にすることで、心を開いてくれる瞬間があるのです。
Q)最後に、これからの夢や目標を聞かせてください。
弱い立場に置かれた女の子や子どもたちでも、本来は地域を変える力を持っています。
そんな未来が実現できるように、私は法律を力に、戦略的に社会の不正義を変えていきたい。
たとえば、ウガンダでFGM(女性器切除)の慣習がありましたが、法廷に訴えて変えることができました。
法律は、多くの人を巻き込んで社会を変えていけるのです。
それから、ギバーの次のステージに引き上げたいですね。今、私はギバーのために働いていますが、いつか「私はギバーで働いています」と言えるようにしたい。
もっと組織の基盤を強くして、私がいなくても、ギバーが地域をサポートできるくらい持続可能な団体にしたい。そう強く願っています。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
継続的に活動を応援、支援してくださる方がいらっしゃいましたら、PLASのマンスリーサポーターをお申し込みいただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。